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2011年1月13日 (木)

フォーブルサンタントワーヌ74番地No.3

初めてパリを訪問したのが1984年。当時はルイヴィトンに並ぶ日本人観光客のマナーの悪さにコンプレインが集まっていた頃で、パリで買い物することを意図的に避けていた。やがてフレンチトラッドが日本の雑誌で紹介されるようになると、パリに行く度にウェストンやオールドイングランドで少しずつ買い物をするようになった。オールドイングランドの地下で靴の接客をした若い店員と当時履いて行ったロイドのドーバー#32を巡り熱弁を交わしたのが懐かしい。

「スタイル&ザマン」の著者アランフラッサー氏は、パリの頁序文に「もしどこか一つの都市で、全ての服飾品を揃えるとしたら、私ならパリを選ぶ」と記している。1996年、海外駐在時にトランクショウで初めてジョンロブ・パリの靴を誂えたのをきっかけに、パリに行く機会が一気に増えた。エルメスやジョンロブは勿論、コルテやベルルッティ、シャルベや敬遠していたルイヴィトンにも顔を出すようになり、年3回訪れることさえあった。そのきっかけとなったジョンロブ・パリのビスポークアトリエ訪問も3回目、いよいよ今回が最終回となる。

21 チャンネルソールの仕上げ その1

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出し縫いが終わり、縫い目を被せているところ。ハンマーの反対側、ヘラのような部分を使って押さえている。ロンドンの注文靴屋ではクローザーやボトムメイカーといったアウトワーカーに外注するやり方が主流のようだが、このアトリエではそうした職人が一堂に集まり、コンパニオン出身の職人の指揮の下、靴作りを行っているようだ。

22 チャンネルソールの仕上げ その2

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予め薄革に塗っておいた混合のりをハンマーで強く叩いて圧着させている様子。ジョンロブパリのアウトソールはジョンロブロンドンのそれよりも硬く見える。ジョンロブという名前は同じだが、部材の調達からアッパー素材までパリとロンドンでは全く別物といってよいのではないだろうか。静かなアトリエの中に時折このハンマーでたたく音が響く。静かな靴作りの現場は、ノーザンプトンのファクトリーが機械の音で騒々しかったのとは対照的だった。

23 ヒールの仕上げ

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何かの雑誌でヒールやコバの仕上げに厚ガラスの破片で仕上げると書かれていたような気がしたが、この職人もヒールリフトの仕上げを何か小さいもので行っていた。職人さんに質問することなどできるはずもないくらい皆無心で仕事に没頭している。何しろ、この時アトリエにいる素人は自分一人だけ、必要のない人物だったのである。

24 コバの仕上げ

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コバにインクとロウを塗り、熱したコテをコバに当てながらロウを伸ばし、底周りを仕上げる行程。いよいよ誂え靴の完成も間近だ。このコテには角コバや額縁コバ、丸コバや半丸丸コバ、日本ならばヤハズ用のコバまで色々なコテがあるそうで、例えばべヴェルドウェイストには半丸のコテを使うとのことだ。仕上げに応じてコテを使い分け、美しいウェルト周辺部に仕上げていく。

25 インソック作り

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アトリエの中で一番若く見える職人は、まだ見習いといった感じで、靴の中に張り付けるインソックをひたすら薄く剥いでいた。インソック1枚にも職人の手が入り、靴の内部に沿った形に仕上げていく。出来合いのパーツを用いない完全なるフルハンドメイド、それがジョンロブ・パリのビスポークシューズだ。

26 3足目のアッパー

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ボトムメイカーの机に置かれ、釣り込みを待つ自分がオーダーした3足目のアッパー。この靴がどのように仕上げられるのか、今までの工程を見れば自ずと想像ができた。実際この後はダービースタイルの靴だったこともあり、べヴェルドウェイストではなく、スクェアウェイストで仕上げられてはいたが、ヒール部分はピッチドヒールと、ジョンロブパリらしいエレガントな靴に仕上がった。

27 完成間近の靴

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職人が手に持つのはボトムメイキングが終わった靴。コバ部分のウィールによる目付けも終わり、あとはアッパーのプロテクターを破いてポリッシングされるのを待つのみといった状態まで出来上がっている。この後カバーをカットし、アッパーをポリッシングすれば完成、手書きのサインを入れて注文主のところに届けられることになる。

28 感性間近の靴 その2

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出来上がった靴をラストから外した状態。履き口部分を見るとまだライニングがカットされず残っている。上段左からクロコダイルのペリエに黒カーフのセイムール、青カーフのアンラインドロペス、下段左からグリーンカーフのシャンボールド、オックスブラッドのウィドナー、アルディラカラーのロペス、いずれもサンプルに手を加えることなく、素材こそ変えてはいるもののオーソドックスな靴の注文が多いことが分かる。

29 工房全体

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先ほどインソックを薄く削いでいた職人の見習いが右端、左端にパトリスロック氏が見える。一番奥まで明るい日差しの差し込む快適なワークルームだった。職人の数と仕掛け中の靴の数を見ると、1足にかかる職人の数の割合は当然高くなる。その結果がジョンロブ・パリの価格が他のビスポークメイカーより高いことにつながるのだろうか。

30 工場を後に

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最後にフィリップアティエンザ氏と素材について色々話した。上質のカーフスキンやベビークロコダイルの革など、今にして思えば、気に入った素材でその場で1足オーダーすればよかったと後悔している。オーダーも回数を重ねると度胸だけは付くようで、こうしたアイデァも今ならば何気なく言えるだろうが、当時はまだ余裕がなかった。

フィリップ氏とパトリス氏、2人の職人に挨拶をしてアトリエを出た。気がつけばランチタイムになり、殆どの職人は外出していた。最後までアテンドしてくれたパトリス氏が門まで見送りに来てくれたので、再会を約束しつつ握手をして別れた。行きにタクシーを使ったので道は不案内だったが、足取りも軽く初めての道をメトロの駅まで歩いていった。

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誂え靴(Bespoke shoes)」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

主題と直接関係のない投稿内容で申し訳有りません。
ブログタイトルのNot Fashion but Styleって良いですね。
私は日頃「流行だからではなく、好きなスタイルだから身につける」と思いながら散財していましたが、同じ様な意味合いなんでしょうね?

使わせて頂きます。

musselwhiteさん

おっしゃる通り、自分のスタイルと合うものを取り入れたり、好きなものを身に着けたり、家に置いたりする中で自分のスタイルが出来上がるといった感じでしょうか。

雑誌ELLEオムに載っていましたが、イタリアの貴公子ラポエルカン氏のモットーは「Not fashin, but style」だそうです。途中で,が付いているというちょっとした違いはあるようですが(笑)酷似していますね。

ただ、ELLEの雑誌にエルカンの言葉が出たのは2010年4月号ですが、それよりもずっと昔2007年3月にこのブログを開設しているので、当ブログがオリジナルということになりましょうか。

すばらしいblogを見つけられて感謝です。
私は足元にも及びませんが、愛しているスタイルを大事にしたいと思いました。
良ければLINKさせてくださいませ。

まもなくSSのオーダー時期ですね。

お身体ご自愛くださいませ。

francois aniさん

初めまして、当ブログへの訪問並びにコメントを頂戴し、有難う御座います。またお時間がある時にでもお立ち寄りいただければ幸いです。

さて、francois aniさんのブログにもお邪魔させていただきました。柔らかで仕立てのよさそうなキトンなどイタリアの高級スーツを見ているだけで、何だかイタリアに行きたくなってしまいました。写真も素晴らしく、その服の持つ質の高さをしっかりと写し取っているようで、しばし見入っておりました。

LINKの件、了解しました。どうぞよろしくお願いします。

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